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【フェデラー】最高のフォアハンドやサーブは経験から!?

この記事の内容

  • ロジャーフェデラーの経歴・プレースタイル・戦績・獲得賞金が書いてあるよ!
  • ロジャーフェデラーの使用しているテニス道具が書いてあるよ!
  • ロジャーフェデラーのプチ情報が書いてあるよ!
K

こんにちは、Kです。

テニスをしてない人でも知っている方が多い「ロジャー・フェデラー」ですが、なぜそこまで有名で最高の選手と言われているのでしょうか?そこまで知っている方は少ないと思います。

今回は、どのような経験を得て最高の選手になったのかを書いていこうと思います。

というわけで、今回はロジャーフェデラーについての記事を書いていこうと思います。それでは始めましょう!!

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目次

選手基本情報

名前ロジャー・フェデラー(Roger Federer)       
出身地バーゼル(スイス)
利き手右利き
バックハンド片手打ち
自己最高ランキング     シングルス:1位 ダブルス:24位
生年月日1981年8月8日(39歳)
身長 / 体重185cm / 85kg

経歴

ジュニア時代

15歳の時にスイスの18歳以下のジュニアチャンピオンになり、これを機に本格的に世界を転戦するようになります。

同年、イタリアのジュニア大会で優勝し国外で初めてタイトルを獲得しました。

16歳でジュニアサーキットを席巻、全米オープンジュニアで準優勝、オーストラリア・ジュニア・ヴィクトリア選手権、フィレンツェ国際ジュニア、マイアミ・オレンジボウルで優勝しました。

ウィンブルドン選手権ジュニアに至ってはシングルスとダブルスで優勝し、ジュニア世界ランキングで1位となりました。

ATPツアーの2大会に招待枠で出場する権利を得て、スイス・オープン・グシュタード(ATP250)では準々決勝進出を果たしています。

手応えを得たフェデラーはプロ選手として活動していくことを選びます。

プロ転向(1998年)

1999年 世界ランキング64位

サーキットを卒業してプロとなった1999年は世界ランキング302位からスタートしました。チャレンジャーツアーやワイルドカードを得てATPツアーを転戦していました。

戦績は、チャレンジャー優勝1回、ツアーは準々決勝進出2回、マスターズ、グランドスラム、デビスカップにも出場しました。

9月には世界ランキングトップ100入りして、64位シーズンを終えています。

2000年 世界ランキング24位

マルセイユ(ATP250)ではツアーで初めて決勝に進出しました。しかし、この後は早期敗退が続き伸び悩んでいました。原因は、熱くなりすぎて自滅することが多かったとのことでした。

しかし、シドニーオリンピックの銅メダル決定戦でA・ディパスカルに敗れた時から急成長をはじめました。バーゼル(ATP500)で優勝し、ランキングは24位まで上がりました。

2001年 ツアー初優勝、世界ランキング12位

ポップマンカップでスイスの優勝に貢献、ロッテルダム(ATP500)では準優勝、ミラン・インドアで優勝しATPツアーで初タイトルを獲得しました。さらに全仏オープンでは準々決勝まで勝ち進んでいます。

ウィンブルドンでは4回戦まで勝ち進み、優勝候補でウィンブルドンを7回制覇はしているP・サンプラスと対決しました。その結果、見事優勝し、その後は力尽きてしまいベスト8で敗退となりましたが、誰もが驚く番狂わせとなりました。

また、バーゼルでも優勝し世界ランキングは12位まで上がりました。

2002年 世界ランキング6位

グランドスラムではあまり位結果を残せなかったもののマスターズで躍進を見せ、マイアミで準優勝、ハンブルク(ATP500)シドニー(ATP250)とウィーン(ATP500)では優勝を飾り、世界ランキングは10位となりました。

さらにランキング上位8位が参加できるマスターズ・カップへ出場し準決勝に進出しています。

この年は世界ランキングを6位まで上げています。

2003年 ウィンブルドン優勝、世界ランキング2位

6大会で決勝に進出、その中でも4大会で優勝しています。その勢いでウィンブルドンへ出場すると勢いは衰えず、A・ロディックなどを破り見事優勝しました。

さらにマスターズ・カップではA・アガシなどのグランドスラムチャンピオンを退けて栄冠を手にしました。

この年は7大会で優勝、勝率82%を記録し、自己最高の世界ランキング2位まで上り詰めました。

2004年 グランドスラム3冠

全豪オープンで決勝戦に進出し、さらにM・サフィンを破り優勝しました。その後の世界ランキングでは1位と上り詰めました。

それ以降、マスターズではインディアン・ウェルズ、ハンブルク、カナダで優勝、グランドスラムではウィンブルドンではA・ロディックを全米オープンではL・ヒューイットを破り優勝しました。

その結果、グランドスラムで年間3冠を達成しました。

シーズン終盤も勢いは止まらず、マスターズ・カップでは無敗の連覇をし、11大会優勝、勝率は92.5%と驚異的な数字を叩き出しました。

2005年 マスターズ4大会優勝、ウィンブルドンと全米で優勝

この年も好調は続き、マスターズではインディアン・ウェルズ、マイアミ、ハンブルク、シンナシティで優勝し、マスターズの4大会で優勝しました。

グランドスラムでは全豪オープン、全仏オープンは準優勝でしたが、ウィンブルドンではA・ロディックを、全米オープンではA・アガシを破り連覇を果たしました。

その後は、足首を負傷してしまい、マスターズ・カップの出場が危ぶまれてしまいますが、なんとか決勝まで勝ち上がりました。

この年の記録は11大会で優勝、勝率は95.3%と前年を超える記録となりました。

2006年 17大会中16大会で優勝

さらにフェデラー無双時代は続きます。マスターズでは、インディアン・ウェルズ、マイアミ、カナダ、マドリードで優勝、モンテカルロ、ローマで準優勝しました。

グランドスラムでは全豪オープン、ウィンブルドン、全米オープンで優勝、全仏オープンでは準優勝しました。

その後のジャパン・オープン・テニス選手権で優勝しています。

さらにマスターズ・カップでも優勝し出場した17大会のうち16大会で優勝しました。

2007年 世界ランキング1位座位期間200週 

マスターズではハンブルクとシンナシティで優勝しました。ハンブルクではR・ナダルのクレー連勝記録を81でストップさせ、シンナシティでは優勝しATPツアーシングルスタイトル獲得数が50に達しました。

グランドスラムでは、全試合ストレート勝ちで優勝、ウィンブルドンではR・ナダル、全米オープンではN・ジョコビッチを破り優勝しました。全仏オープンでは決勝でR・ナダルに敗れています。

マスターズカップでは決勝でD・フェレールを破り優勝しました。

R・ナダルの成長も目まぐるしく、ランキング争いに食い込んでくるものの世界ランキング1位連続座位期間が187週に到達しました。12月には200週に到達しています。

2008年 全米オープン5連覇

この年から少しづつ失速してしまいます。

マスターズではハンブルクとモンテカルロの準優勝が最高となっています。

グランドスラムは全豪オープンでN・ジョコビッチに敗れベスト4、全仏オープンはR・ナダルに敗れ準優勝、ウィンブルドンでもR・ナダルに敗れ準優勝となりました。

しかし、全米オープンでは準決勝でN・ジョコビッチ下し全豪の雪辱を果たすと、決勝でもA・マレーも破り5連覇を達成しました。グランドスラムの5連覇達成は史上初の快挙となりました。

北京五輪のシングルではベスト8となりましたが、ダブルスではS・ワウリンカと組み金メダルを獲得しました。

オリンピックの翌週、世界ランキング1位の座をR・ナダルに渡しまし、連続座位記録は「237週」で止まりました。

この年は、R・ナダルN・ジョコビッチ、A・マレーといった新世代の台頭を許し苦しめられた年でもありました。

2009年 ウィンブルドン6度目の優勝、世界ランキング1位へ

全豪オープンでは、決勝でR・ナダルにフルセットの末敗れました。その後のマスターズでは、インディアンウェルズの準決勝でA・マレー、マイアミの準決勝でN・ジョコビッチに敗れました。

しかし、クレーコートであるマドリード・マスターズの決勝ではR・ナダルのクレーコート連勝数を33勝で止めて優勝しました。続く全仏オープンでは、R・セーデリングを破り優勝し、史上6人目のキャリアグランドスラムを達成しました。

ウィンブルドンでは、準々決勝でI・カルロビッチを下し、四大大会連続準決勝進出記録を更新しました。さらに準決勝も勝利し、四大大会決勝進出数も20回を達成しました。決勝では、A・ロディックを下し、6度目の優勝をしました。

この結果により、世界ランキングでは1位に返り咲きました。

続く全米オープンの前哨戦であるシンナシティ・マスターズではN・ジョコビッチを下して優勝しましたが、全米オープンでは決勝で J・デルポトロに敗れてしまいました。

その後のスイス・インドア(ATP500)の決勝でN・ジョコビッチに敗れ、ATPファイナルズでも準決勝で敗退しています。

2010年 全豪オープン、ATPファイナルズ優勝

全豪オープンでは決勝でA・マレーを破り優勝したことで四大大会優勝最多記録を16に伸ばしました。

しかし、全仏オープンでは準々決勝で敗退したため、世界ランキング2位に陥落、続くウィンブルドンでも準々決勝で敗退し、さらに1つ落とし世界ランキングは3位となりました。

その後は好調を取り戻し、シンナシティ・マスターズでは優勝しました。

全米オープンでは準決勝でN・ジョコビッチに敗れましたが、その次のスイス・インドアではN・ジョコビッチを破り優勝を飾りました。

さらにATPファイナルズでは、決勝でR・ナダルを破り見事優勝を果たしました。

2011年 70回目のタイトル獲得

カタール・オープン(ATP250)では優勝しツアー67勝目を挙げました。全豪オープンでは準決勝でN・ジョコビッチに敗れベスト4、また、ドバイ・テニス選手権(ATP500)の決勝とBNPパリバ・オープンでもN・ジョコビッチに敗れています。

マイアミ・マスターズでは準決勝でR・ナダルに敗れています。

ハードコートシーズンは出場した大会で準決勝以上と好成績だったものの、N・ジョコビッチが全大会で優勝したため世界ランキングは3位となりました。

クレーコートシーズンではモンテカルロ・マスターズでは準々決勝で敗退、マドリード・マスターズでは準決勝でR・ナダルに敗れベスト4となっています。

全仏オープンではR・ナダルN・ジョコビッチの優勝争いが注目されましたが、フェデラーが準決勝でN・ジョコビッチに勝ち決勝進出を果たしました。しかし、決勝ではR・ナダルに敗れて準優勝となりました。

全米オープンの準決勝でN・ジョコビッチの敗れ敗退したものの、スイス・インドア、BNPパリバ・マスターズ、ATPファイナルズでは全て優勝しています。70回目のタイトル獲得となりました。

2012年 ウィンブルドン優勝、世界ランキング1位通算302週

カタール・オープンは準決勝で背中の不調を理由に棄権全豪オープンでは復活しましたが、準決勝でR・ナダルに敗れました。その後のABNアムロ世界テニス・トーナメント(ATP500)、ドバイ・テニス選手権(ATP500)、BNPパリバ・オープン、マドリード・マスターズの4大会で優勝しました。

全仏オープンではN・ジョコビッチにストレートで敗退、しかし、史上初となる全グランドスラム各大会で50勝を達成、4大大会通算234勝目を挙げました。

ウィンブルドンでは、準決勝でN・ジョコビッチを決勝でA・マレーを破り7度目の優勝を飾ると同時に四大大会通算17勝を挙げました。

また、この優勝により世界ランキングで1位に返り咲きました。さらに1位座位期間が通算287週となり、歴代最多記録となりました。

ロンドンオリンピックでは準決勝でJ・デルポトロとの激戦を制し決勝に進出、しかし、決勝ではA・マレーに敗れてしまい、銀メダルとなりました。

その後のシンナシティ・マスターズではN・ジョコビッチを破り優勝、全米オープンはベスト8、上海マスターズではベスト4でしたが、ランキング1位を守り座位期間を300週となりました。

しかし、その後ランキング1位の座をN・ジョコビッチに明け渡すことになり、1位は302週でストップしました。ATPファイナルズでは決勝進出するものの、決勝でN・ジョコビッチにやぶれました。

2013年 不調の年

全豪オープンの準決勝でA・マレーにフルセットの敗れ、ABNアムロ世界テニス・トーナメントは準々決勝、ドバイ・テニス選手権は準決勝、BNPパリバ・オープンは準々決勝で敗れました。

マドリード・マスターズは3回戦で錦織圭にBNLイタリア国際では決勝でR・ナダルに敗れました。

グラスコート前哨戦のゲリー・ウェバー・オープン(ATP500)ではは優勝し、シーズン初タイトルを獲得しましたが、ウィンブルドンでは2回戦敗退で早期敗退となりました。

その後背中の怪我に悩まされランキングもトップ4から陥落しました。

ランキング7位で迎えた全米オープンでは4回戦敗退でしたが、スイス・インドアでは準優勝、BNPパリバ・マスターズでベスト4となり、ATPファイナルズにも出場しラウンドロビンも突破しました。

2014年 ウィンブルドン準優勝

元世界ランキング1位のサーブ&ボレーの名手であったS・エドベリをコーチとして迎え入れました。その結果、ブリズベン国際で準優勝、全豪オープンでは準決勝でR・ナダルに敗れたもののベスト4まで勝ち上がりました。

ドバイ・テニス選手権では準決勝でN・ジョコビッチに、決勝でT・ベルディヒに勝利しシーズンで初優勝を飾りました。

BNPパリバ・オープンでは決勝はN・ジョコビッチに、マイアミ・マスターズは準々決勝で錦織圭に敗れたものの、大会後のランキングではトップ4に復帰しました。

モンテカルロ・マスターズでは決勝進出するもののS・ワウリンカに敗れ準優勝となりました。

ウィンブルドンの前哨戦であるゲリー・ウェバー・オープンでは優勝し、ウィンブルドンでも強化していたネットプレーを交えた戦術が奏功し、決勝進出を果たしました。決勝ではN・ジョコビッチと対戦しましたが、敗れてしまい準優勝となりました。

さらにロジャーズ・カップでは準優勝、シンナシティ・マスターズでは決勝でD・フェレールを下し優勝しました。

全米オープンでは準決勝に進出するものの、M・チリッチに敗れましたが、上海マスターズでは準決勝でN・ジョコビッチに、決勝ではG・シモンに勝利し大会初優勝を飾りました。

スイス・インドアでは、決勝でD・ゴファンを下し優勝しています。

ATPファイナルズでは全勝でラウンドロビンを通過し、準決勝ではS・ワウリンカと対戦し激闘を制して決勝進出を果たしましが、腰の怪我により棄権することとなりました。

年間最終ランキングは2位で終えました。

2015年 マッチ通算1000勝、ウィンブルドン・全米準優勝

ブリズベン国際では、決勝でM・ラオニッチに勝利し大会初優勝を飾ると同時にマッチ通算1000勝の偉業を達成しました。

全豪オープンでは早期敗退となりましたが、ドバイ・テニス選手権では、決勝でN・ジョコビッチを破り7度目の優勝を飾りました。また、キャリアサービスエース数が9000本を突破しました。

BNPパリバ・オープンでは決勝でN・ジョコビッチに敗れてしまい準優勝となりました。

イスタンブール・オープンでは通算クレーコート勝利数が200勝達成、決勝でもP・クエバスに勝利し大会優勝を飾りました。BNLイタリア国際では2年ぶりに決勝に進出しますがN・ジョコビッチに敗れ準優勝となりました。

全仏オープンでは、準々決勝でS・ワウリンカに破れるものの、2000年の全豪オープンからの四大大会連続出場記録62大会に達し杉山愛が持つ記録に並びました。

ゲリー・ウェバー・オープンでは優勝し、大会3連覇・8度目の優勝を飾りました。また、ウィンブルドンでは準決勝でA・マレーに勝利するものの、決勝でN・ジョコビッチに敗れてしまい準優勝となりました。

シンナシティ・マスターズではR・バウティスアグート、K・アンダーソン、F・ロペス、準決勝ではA・マレー、決勝ではN・ジョコビッチに勝利し大会連覇と同時に7度目の優勝を飾りました。

全米オープンでも決勝進出したものの、またしてもN・ジョコビッチと対戦することになり、結果はN・ジョコビッチに勝利となりました。

スイス・インドアでは決勝でR・ナダルを下し優勝しました。ATPファイナルズでは決勝でN・ジョコビッチに敗れました。

年間最終ランキングは3位と好調の年でした。

2016年 四大大会通算304勝、ランキングトップ10落ち

全豪オープンの3回戦でG・ディミトロフに勝利し、史上初のグランドスラム通算300勝を達成しました。この大会は準決勝でN・ジョコビッチに敗れています。

その後、左膝の内視鏡手術のためツアーを離れました。マイアミ・オープンで復帰しますが、体調不良により初戦直前に棄権することになりました。

モンテカルロ・マスターズで復帰し、準々決勝まで進出しました。さらに全仏の準備として、当初出場予定ではなかったマドリード・マスターズにエントリーしましたが、背中の怪我により再び初戦前に棄権することになり、本人も「タフなシーズンになっている」と言っていました。

BNLイタリア国際では3回戦でD・ティエムに敗れ、全仏オープンは怪我のため欠場しました。

メルセデス・カップ(ATP250)で復帰しましたが、こちらでも準決勝でD・ティエムに敗れました。その後のゲリー・ウェバー・オープンでも準決勝で若手で台頭してきたA・ズベレフに敗れました。

ウィンブルドン選手権では、M・チリッチに2セット先取されるも逆転勝ちをしました。これにより四大大会通算304勝となり歴代1位となりました。準決勝でM・ラオニッチに敗れ、さらに試合中の店頭により左膝を負傷してしまい残りの全試合を断念しました。

年間最終ランキングは16位となりました。

2017年 全豪オープン、ウィンブルドン優勝

公式戦では全豪オープンで復帰します。錦織圭やS・ワウリンカなどを破り決勝戦に進出し、決勝ではR・ナダルと対戦しました。結果はフルセットの末勝利し、完全復活を印象付ける試合となりました。

BNPパリバ・オープンの4回戦でR・ナダルに勝利、さらに決勝でもS・ワウリンカにも勝利して5回目の優勝を果たしました。続きマイアミ・オープンでは準決勝でN・キリオスとの激闘を制し、決勝戦に進出しました。さらに決勝でも再びR・ナダルに勝利し、3度目の優勝を果たしました。

その後のクレーコートシーズンは欠場しました。

グラスコート初戦のメルセデス・カップでは初戦敗退となりましたが、ゲリー・ウェバー・オープンでは決勝でA・ズベレフを破り歴代最多となる9度目の優勝となりました。

ウィンブルドンでは全てストレート勝ちで決勝進出しました。決勝ではM・チリッチを破り5年ぶり歴代最多となる8勝目を挙げました。

全米オープンの前哨戦であるロジャーズ・カップでは背中を痛めながら決勝戦に進出しました。決勝ではA・ズベレフに敗れてしまい準決勝となりました。その後のシンナシティ・マスターズは欠場し、迎えた全米オープンも準々決勝でJ・デルポトロに敗れ敗退となりました。

上海マスターズでは準決勝でJ・デルポトロに勝利、決勝でもR・ナダルに勝利し優勝、スイス・インドアでもJ・デルポトロに勝利し8回目の優勝をしました。

これにより、生涯獲得金額がN・ジョコビッチを抜き1位となりました。

その後のパリ・マスターズは欠場し、ATPファイナルズもラウンドロビンは突破するものの、準決勝でD・ゴファンに敗れました。

最終ランキングは2位となり完全復活を遂げました。

2018年 グランドスラム20勝、世界ランキング1位最年長記録

全豪オープンでは、準決勝までは全試合ストレートで勝決勝戦に進出しています。決勝ではM・チリッチと対戦し、フルセットの末勝利しました。全豪オープンは2連覇かつ6度目の優勝、同時にグランドスラム20勝目を達成しました。

1位のR・ナダルとの差を155ポイントまで詰めた状態でABNアムロ世界テニス・トーナメントに出場しベスト4となり、歴代最年長36歳6ヶ月で世界ランキング1位に復帰しました。

しかし、その後のBNPパリバ・オープンでは決勝でJ・デルポトロに敗れ準優勝となりました。また、マイアミ・オープンで初戦敗退となってしまい、R・ナダルにランキング1位を奪還されてしまいました。

6月にナイキとの約20年の契約を終えて、新たにユニクロと10年3億ドルの契約を締結しました。

世界ランキング2位でウィンブルドン選手権を迎え準々決勝でK・アンダーソンに敗れてしまいました。その後の大会もシンナシティ・マスターズでは決勝でN・ジョコビッチに、全米オープンは4回戦でJ・ミルマンに敗れました。

しかし、スイス・インドアでは順調に勝ち上がり、決勝でも勝利し大会9度目の優勝となりました。

ATPファイナルズではラウンドロビンを突破したものの、準決勝でA・ズベレフに敗れました。最終ランキングは3位で終了しています。

2019年 ATPツアー100勝目、ウィンブルドンシングルス通算100勝

全豪オープンでは4回戦で若手のS・チチパスに敗れ3連覇を逃してしまいました。

ドバイ・テニス選手権の決勝では再びS・チチパスと対戦し、雪辱を果たし見事優勝しました。これでシングルス通算100賞を記録しました。

BNPパリバ・オープンでは決勝でD・ティエムに敗れてしまいましたが、マイアミ・オープンの準決勝でD・シャポバロフを破り決勝に進出すると、決勝でもJ・イズナーにも勝利し優勝しました。

クレーコートシーズンでは3年ぶりに参戦することを発表しました。復帰戦であるマドリード・マスターズでは、ベスト8まで残るものの準々決勝でD・ティエムに敗れてしまいました。

BNLイタリア国際でもベスト8入りをしましたが、準々決勝は右足負傷のため棄権しました。全仏オープンでは、準々決勝でS・ワウリンカを破りベスト4入り、準決勝ではR・ナダルに敗れてしまい、ベスト4となりました。

ハレ・オープン(ゲリー・ウェバー)は決勝でD・ゴファンを下し、R・ナダルに次ぎ史上2人目となる同一大会10度目の優勝を成し遂げました。

ウィンブルドンでは準々決勝で錦織圭を破った一戦が、ウィンブルドンマッチでの100勝目となりました。同一グランドスラム100勝は史上初の快挙となりました。

準決勝ではR・ナダルに勝利し全仏の借りを返すことができました。決勝ではN・ジョコビッチと対戦しましたが、フルセットの激闘の末力尽きてしまいました。

全米オープンは、準々決勝でG・ディミトロフに敗れてしまい、グランドスラムでは3年ぶりに無冠で終わりました。

スイス・インドアでは準決勝でS・チチパスを、決勝でA・デミノーを下し同大会10勝目を挙げました。

ATPファイナルズでは初戦でD・ティエムに破れるものの、第2戦でM・ベレッティーニ、第3戦でN・ジョコビッチを破りラウンドロビンを突破しました。しかし、準決勝ではS・チチパスに敗れてしまいシーズンを終えました。

最終ランキングは3位となっています。

2020年 手術のためツアー離脱

全豪オープンではベスト4入りをしましたが、その後右膝の手術のためにツアーを離脱しました。

その後、新型コロナウイルスの流行によってツアーが中断となったこともありましたが、6月に右膝の再手術を受け2021年に復帰することを発表しました。

全豪オープンは準々決勝でテニーズ・サンドグレンから7本のマッチポイントをしのぎ、ベスト4入り[46]。準決勝でジョコビッチにストレートで敗れた[47]。2月20日に右膝の手術を受けたことを発表した[48]

新型コロナウイルス流行の影響でシーズンが中断となる中、6月に右膝の再手術を受けたことを発表し、復帰は翌年になるとした[49][50]

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プレースタイル

全てにおいて最高の技術があるオールラウンドプレイヤーです。

ストロークはもちろんですが、サーブやボレーの精度も高く、速度はそこまでないもののコースはかなり的確でサーブに関しては、同じフォームで打つのでコースが読みづらくサービスエースを量産します。

また、ファーストサーブとセカンドサーブの差もそこまでありません。

タッチのセンスも素晴らしく、ドロップショットを打つ方ではないですが、ボレー相手が取れないコースをつきます。

ストロークではイースタングリップから繰り出される威力あるフォアハンドが特徴的で、特に回り込んでのフォアハンドでエースを狙うイメージがあります。さらにストロークだと年齢を重ねるごとに進化しているテンポが速いライジングは、相手にとってかなり嫌なものだと思います。

戦績

キャリア通算でATPツアー(ATP250以上予選抜き)での戦績になります。

   サーフェス      勝      敗      勝率   
ハード78215484%
クレー2237076%
グラス1872787%
合計119225183%

本人もクレーコートは苦手としているようで、クレーコートシーズンはツアーを離脱していることもあります。

また、打ち方を見てもフラット系なのでクレーコートが得意という感じではなさそうですね。

獲得賞金

129,946,683ドル(約136億4440万円)

※現在のレートで計算 1ドル = 105円

ランキングの推移

   年      ランキング   
1998年最終301位
1999年最終64位
2000年最終29位
2001年最終13位
2002年最終6位
2003年最終2位
2004年最終1位
2005年最終1位
2006年最終1位
2007年最終1位
2008年最終2位
2009年最終1位
2010年最終2位
2011年最終3位
2012年最終2位
2013年最終6位
2014年最終2位
2015年最終3位
2016年最終16位
2017年最終2位
2018年最終3位
2019年最終3位
2020年最終5位

トップ10に相当長い期間いるということはすごいですね!

ウェア・シューズ

ウェアはユニクロ、シューズはナイキを使用しています。

ラケット

バボラのプロスタッフを使用しています。

以前にフェデラーなどが使用しているプロオーバーグリップについても書いたので是非参考に!!

その他

フェデラーが使う戦術であるSABRって何!?

「SABR」とだけ見れば何か全然わかりませんが、これは略しています。略さないと「sneak attack by Roger」となります。正直こっちを見てもわかりませんが...💦

SABRは何かというと、相手のセカンドサービスのリターンで前に詰めてネットプレーにつなげる戦術のことを言います。

2014年にサーブ&ボレーの名手であったS・エドベリをコーチに迎え、攻撃的なゲーム展開をするようになったことで使用するようになりました。

K

フェデラーももう年を重ねているので、フィジカルだと若手の選手に敵いません。そのため、ストロークのライジングやSABRなど戦術や経験によってできる技を身に付けたのですね!!

まとめ

いかがでしたか?

今回は最高のテニスプレイヤーでもある「ロジャーフェデラー」について書かせていただきましたが、どのような経歴を得てここまで来たのかがつかめたと思います。

まだまだ、現役は続けていくそうなのでこれからもテニス界を楽しませてくれると思います!!

最後までご覧いただきありがとうございました!!

k

こんにちは。kといいます。 普段は会社員。暇さえあればテニスのことを考えております。 ソフトテニス歴10年。硬式テニス歴3年。 千葉県出身。現在は妻息子と一緒に3人で暮らしています。 1つのテニスコミュニティとなれば嬉しいです。 よろしくお願いいします。

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